Jul 10, 2010

医師の求人を植えている

私も知人に聞いたのですが、最近の医師求人が増えてきているといえます。何なのかは詳しく分からないが、おそらく東日本大震災かなりの医師が死亡し、医師の人材が不足しているため、医師の採用が増えているようです。医師だけでなく、いろんなところに人材が不足しているようです。世の中色々大変です。
先月末、看護師の求人をしたが、多くの応募者があり、すぐに5人の看護師を採用することができた。今まで私は、病院の人手が不足していたが、新人看護師の役割のおかげで、仕事がスムーズに流れるようになった。病院を訪問して患者のためにも早く看護師求人をしていた、今では反省している。
 ◇給油所

 被害が大きかった地域を中心に、電話で営業が確認できた給油所は次の通り。終了時間のない給油所は、在庫なくなり次第終了。

 <岩手県>◆住田町▽出光=世田米バイパス(電話0192・46・2483)7時〜19時半◆宮古市(局番0193)▽出光=106号宮古(電話64・5045)7〜21時▽津軽石(電話67・2668)8時半〜日没▽摂待(電話87・5134)7〜18時▽コスモ=千徳(電話62・5400)7〜19時▽エネオス=千徳(電話62・2809)8〜19時▽Dr・Drive宮古バイパス(電話62・9847)7〜25時ごろ▽宮古黒森(電話63・1891)8〜19時▽佐原(電話63・1101)7〜18時▽茂市(電話72・2551)7〜17時◆大船渡市▽エネオス=盛(電話0192・26・3458)7〜18時半ごろ◆洋野町(局番0194)▽出光=大野(電話77・2548)7〜19時半▽種市(電話65・2455)7〜20時半▽種市平内(電話65・3211)7〜20時半▽洋野(電話65・4545)6時半〜20時▽コスモ=井河種市(電話65・4548)7〜20時▽種市(電話65・2527)7〜20時▽帯島(電話77・5630)6時〜日没▽久戸大野(電話77・3610)6時〜日没▽大野南(電話77・2244)7時〜日没◆一関市(局番0191)▽出光=一関青葉(電話23・2324)7時半〜20時▽一ノ関バイパス(電話24・2622)7時40分〜17時▽げいびバイパス(電話47・3318)7〜19時◆山田町▽出光=45号線船越(電話0193・84・2846)7〜18時◆岩泉町(局番0194)▽出光=岩泉(電話22・3255)7〜20時▽昭和シェル=岩泉バイパス(電話22・3220)7〜19時◆田野畑村(局番0194)▽出光=45号線田野畑(電話34・2016)7〜19時▽田野畑南(電話32・2131)7時半〜19時半◆久慈市(局番0194)▽出光=侍浜(電話58・2101)7時〜日没▽久慈(電話52・1731)7〜21時▽コスモ=霜畑(電話75・2018)7時〜19時半▽大川目(電話55・3339)7〜20時▽久慈駅前(電話53・2303)8〜19時半▽久慈SC−SS(電話61・3050)7〜20時▽エネオス=新中の橋(電話52・3800)7〜20時▽久慈(電話55・2201)7〜20時▽侍浜(電話58・2211)8〜18時

【被災地は今−大津波の島・奥尻(下)】

 東日本大震災の大津波はニュース映像で何度も流された。北海道・奥尻島の元町職員、成田敏雄さん(73)は、この映像を見て言葉を失った。

 平成5年7月、死者・不明者198人を出した奥尻島の大津波被害後、島には最高約12メートルの防潮堤が築かれた。手本となった岩手県宮古市の高さ約10メートルの防潮堤だ。しかし、東日本大震災の大津波は宮古市の防潮堤を乗り越えた。同じ規模なら奥尻の防潮堤も乗り越えられる可能性は高い。

 どんな防災施設も万能ではない。十分わかっていたが、ショックだった。「自分の命は自分で守るしかねえんだ」。成田さんは改めて思い知らされた。

 テレビは翌日、東北地方のがれきの山を映していた。18年前の復興の記憶が蘇った。

 「どうやって街を立て直せばいいのか」。被災から約2カ月後。街が壊滅した青苗地区では連日深夜まで住民と町職員がひざを突き合わせて話し合っていた。

 ■「みんな島が好きなんだ」

 奥尻島は住民の意見を反映して復興した最初の被災地だとされる。同地区の会社経営、明上(あけがみ)雅孝さん(61)は、住民組織「奥尻の復興を考える会」を結成、行政と話し合った。

 青苗地区で実施された沿岸住民の高台への集団移転も、考える会がアンケートをとって決めた。「山の上で漁業はできない」という漁村特有の事情から、住民の一部は沿岸に残るという結論を出した。

 復興には資金が欠かせなかった。寄せられた義援金は約190億円。町の年間予算の5倍。町は全壊した人が家を新築した場合、見舞金を含め最大約1400万円も配分できた。成田さんは「金に恵まれたから(住宅再建は)できたという側面もある」と話す。

 同じ島民でも被災状況は異なる。島に流れ込んだ大金は一方で、配分などをめぐりいさかいも生んだ。が、明上さんは言う。「でも、島を蘇らせたいという思いは同じだったと思う。みんな島が好きなんだ」。

 明上さんは、住民たちに語りかけた。「すきま風が入る役場も建て替えず、被災者に金を回している。それで家を建てられるんだから我慢しよう」

 徐々に一体感が増した。

 ■義援金の恩返しを

 島民たちはそれぞれの思いを胸に復興を目指した。青苗地区の漁師、林清治さん(62)は被災からわずか数週間後、破壊を免れた別地区の漁港から、イカ漁に出た。被害が少なかった地域の漁師たちも「こんな時に漁なんて」と自粛し、島全体が沈黙している時期だった。

 両親を失い、避難所暮らしを強いられている自分が元気にやっている姿を見せることで、みんなが「よしやるぞ」と復興に前向きになれれば−。林さんはそういった思いに突き動かされていた。

 不況と過疎にあえぐ島の財政は厳しい。だが、東日本大震災の被災地への義援金を町費で捻出。さらに募金がはじまるなど、支援に向けた動きが始まっている。島の人たちは「今の奥尻があるのは義援金のおかげ。恩返ししなければ」と口をそろえる。

 「元気に働くおれたちの姿を見てほしい。前を向いて歩けば、きっと大丈夫。何とかなるさ」。林さんは大きく笑い、漁に出た。(この連載は田中一世が担当しました)

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